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2017.05.12 (Fri)

記憶のかけら

私、同じこと言ったよね・・きっと。

たまたまのことであった。
たまたま、家人が20時に帰宅するので、「みんな、20時ころ、アイスを食べようよ・・**のお誕生日も近いし」と。
日ごろは、子供たち、夜にはそれぞれの部屋に入って、別々に過ごすことが多くなった。
この4月からは、平日はめったに家族そろって夕食を食べることもできなくなった・・それぞれの生活の諸事情から、曜日によっては、それこそ、全く別々の個食となる(私以外の人が食べる時にはなるべく一緒にいて話すようにしているけれど)。

ふとよみがえった記憶・・「20時には(2階から)降りてきて。果物を切るからみんなで一緒に食べましょう」
そう子供たち(私たち)に話したのは、亡き母だった。
・・ああ、こういうきもちだったのか・・
今になって、亡き母の想いが胸に迫る。
今の私の子供たちと同じくらいのころ、夜にはそれぞれ2階の個室に入ってしまい、話す機会も少なくなっていた・・だから、家族みんなで集まる機会を作りたい、と思ったのね。
・・そう話してみたいけれども、すでに母はいない。

なぜふと思い出したのだろう。
そうだ・・そういえば、今日、運転中に、「紫蘭」を見た。
そのとき、私のとても深いところにある思い出が鮮やかによみがえり、胸が苦しくなってきた。
今はもうない実家の庭にたくさん咲いていたのだった・・それは、亡き母が亡き姉の好きだったという、姉の庭にあった紫蘭をもってきて花を咲かせていたものだった。
母が亡くなったころ、実家の庭にたくさん咲いていたいろいろな花を、私も持ち帰り、自宅で育て続けられたら、とトライしたのだが、もともと生け花の心得はあっても園芸には素人であり、二世帯住宅で庭のない2階では、やはり難しく、すべて枯らせてしまった。

きっと亡き父母は、どこかで私をみまもっていてくれている・・そう思いたい。
GWは、旅行にも行かず、いつもと同じ日常をすごしていた。家族それぞれの生活にあわせて、ほとんど一人の時間はなかった。にもかかかわらず、家人の怒りに触れることもあり、GW明けは、かなりきもちも消沈してしまっていた・・と同時に、やっと一人の時間ができた、と、内心ほっとしたのだった。
GW明けは、気分転換にとにかく外に出たくて、買い物や映画にも積極的に。
そうして、今日、ようやく、ふと、外の景色をながめることができるくらいの、きもちのゆとりができるようになったようだった。

今日の夜から日中、とたどってみたが、さらにさかのぼれば、もしかしたら、今朝読んだ「昭和40年男」立花隆氏の死生観の文章に触れたことも、記憶のかけらを呼び覚ますひとつの要因となっているのかもしれない。
氏の話の内容は、実に、私が近年抱き始めた想いに似たものがあって、共感できるところが多々あったのだ・・「老い」に対する焦りや不安感を抱いて先々に消沈していた時期もあったが、それを受け入れることによって、きもちが楽になっていく、といった想いは、私自身が自身を見つめながら実感したことであった。「死」に対しても、そのように、年を重ねる中で様々な経験を積み重ねながら自身も変わり、それを受け入れる心の準備が徐々にできあがっていくのでは、とおぼろげながら感じていたから。

しかしながら、「いつか当然に来たるもの」と思うあまりに、私は近年、きもちの消沈から、「早く心の準備をするべく、自分自身で、先を見越した(老いて死に向かう)生活に慣れようと、活動領域や心持を先々の視点に合わせようとしてしまっていたのではないか(制限を課し、わざと狭めていた)」と思えてきた。
実にもったいないことではなかったか!?
「今はまだ、目も見える、足腰も少しは弱まっているけれども、まだあちこち外出もできる・・先々の準備のために、できない場合の生活に今から慣れようとするなんて、とてももったいなく、損ではないか?」と。
理屈では分かっていたけれども、きもちがついていけなかった・・なかなか「いつか老いて死する」ことを前向きにとらえることが難しかったのだ。

朝読んだ文章の刷り込みが、自然と、私の目を自身の内から外に向けさせてくれたのかもしれない。
そうして、私の中にある記憶のかけらに気づかせてくれたのかもしれない。
まだまだ、私は、先々に向けての新たな発見をする旅の途中にあるのだ・・この先も、新しい私に出会える可能性はあるのだろう。
「いつか来る終わり」に準備をする、ということは、今からそれに合わせた生活を我慢して過ごすことではないのだろう。
「今」をできるかぎり充実させて経験をさらに積めば、おのずと、そこ(『老い』や『死』を受け入れる境地)にたどりつけるはず、なのだ。

そう思って、「今」を大切にしよう。
先ばかりを見ず、後ろばかりも見ず、「今」を見つめる。
ひとつ、壁が開かれたような気がした。
strap
・・となると、ブログの在り方もまたかわるかも
しれませんが(^^;)、今日は、これまでにないくらい、
人生観の微調整とでもいえるような感覚に陥った
次第なので、ここに記しておきたくなりました。
まったくの個人的な想いで恐れ入りますが・・・
あらためて、亡き父母には感謝^^
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